鉦や太鼓を打ち鳴らし、手を頭上に舞いあげ、足どりのおぼつかない埃っぽい一群が、坊主に先導されて念仏を唱和しながら見事なトランス状態で、調子をとりながら坂を下りてくところなのだ。
アナーキーなパレード見えなくなって静けさが戻ると、今度はヤマボウシに目が移った。この時期の庭は意地悪いくらい暗い。それだのに薄暗く湿っぽく、幸せ薄いヤマボウシのてっぺんあたりだけがサークル状に慈悲と寛容につつまれているのです。えべすっさんでも降りてきたんとちゃう?楽しそうで神々しい。
マルセリーノ少年の心もちで、逆光に手をかざしヤマボウシを見上げると、えべすっさんより煩悩は控えめだが唐風の洒落た浴衣がけ、身なりの涼しいひとが満面の笑みを浮かべ、香気浮遊する蓮の池に糸をたらしてる。可愛らしいふたつのハートが微かにうごいてる。なにか言ってるようだ。
「あがってくる…?カンダタぁ?」
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僕の親父は詩作を生きる拠に64歳で一生を終えました。彼の硬質な生活詩の中に「讃美歌零番」という1連4行からなる詩があります。その最終連は
かぜふく ゆうべ
いのち はつるも
かみの みもとに
ふす すべもなし
戦後の貧しい時代に書いたもので、不器用な自分を自嘲し重苦しい息づかいで救済不能とむすんだ。
息子のほうは、救済不能はあなただけではなく、100人いたら99人は救いようがないとむすびます。
人類ほど傲慢でバカなことをやってきた生き物はありません。いったいどれくらいの仲間を殺してきたんでしょう?何千年、何万年、何十万年、日が昇り、沈み、ヒトはヒトを、素手と道具で当然のように殺し続けることを止めない。人類そのものが、もっとも愚かな存在なんだ。
芥川の短編「蜘蛛の糸」は、昼休みに衆生をもてあそぶ釈迦のイヤラシサが、小芝居じみて好き。ドリフの「もしもシリーズ」につかえる。
もちろん、僕は99人レギュラー組。溜まりにどぼっと沈み、ぶかっと浮かんでを延々繰返し、「定めなき世こそいみじけれ」と念仏のようなもんを吟誦しながら、糸を待ってる。懲りもせず。
