土曜日はピーター・バラカン


テレビの無い生活が日常になって2年経とうか?   

最後に観たのはテレビドラマJINだったと思う。外科病棟のベッドでした。カーテンを閉めてヘッドホンをすると、自己主張の無いモニーターからあふれてくる映像で一畳半はミニ江戸時代でした。
朝のドラマやモーニングショー、バラエティは観なかったが、昼前の「ちい散歩」と4時からの「水戸黄門」、隔月の「相撲中継」はワタシの定番でした。
退院して名栗に戻ると、居場所が玄関先の隅に決まったせいもあって、二階まで上がってテレビを観るのがおっくうになった。で、そのまま観なくなり、地デジがどーの、液晶がどーのと商売っけたっぷりの世間に対応するのも面倒で、テレビを捨てた。

今はもっぱらラジオと活字あさりで、ニュースは聴かない。新聞もほどほど。操作されている情報を聴いてもね。厚顔無恥な連中の墓場の蟻(松本清張)みたいな日常を聴かされたり、読まされたりは不愉快ですし。
今日みたいなうっとうしい日は内田百閒がいいね。
そんなわけでテレビの線も断って、もっぱら朝刊のテレビ欄を眺めてエアウォッチングしてる。水戸黄門はいつの間にか西村晃の黄門様になっていた。JINの不可解な終り方はパート2へのトレーラーだったのかぁ・・・。

情緒に訴えて実相をぼかす「つくりもの、ヤラセ」のテレビ手法も「通販番組」に駆逐され、力尽きたようだ。ゆるんだ肛門からこれらの凡百な番組という時間を消化不良のまま垂れ流している感じ。
テレビが団らんの中心にあった時代、テレビに常識だとか、質だとかを求めるような人が出入りしていた時代、一億総白痴化、テレビばかり見てるとバカになると言われた昭和が、とても懐かしい。