昔はギターが弾けるというだけでほぼモテた。嘘ではない。
40年以上前、ワタシは(おねーちゃんにちやほやされる状況にいたいと強く願い)日夜ギタリストをめざしていた。現にほぼモテかけていた。
チャンスがあれば舞台にあがって、漫談でもいいから音楽で観客を笑かしたかった。人気者になりたかった。ビートルズだろうが加山雄三だろうがグループサウンズだろうが一節太郎だろうが、とにかくポロロンと爪弾いて、色気のあるジョークをとばして、去ってゆく...(あ、これじゃ、月亭可朝じゃん!)小林旭みたいな、でも争いごとのない、ギンガムチェックのBDシャツ、バイタリス、健全なやつ。テクニックよりも雰囲気ってやつ・・・。で、いちばんハードルの低そうな音楽がフォークソングだった。で、実際かなり低かった。
さて、1970年春、公開番組で知り合ったKという業界通の男(後でわかったのだが、同い年だった)から近々東京で催すフォークコンサートに時間ヤルからでてみないか?と誘われた。おお!いよいよ東京デビューじゃん!と鼻の穴をふくらましたが、バンドを組んでいないことに気がついた(ずーと気がついていたが)そこで、急きょ、東京デビュー用のバンドを組むことにした。メンバーは大学受験に落ちて一浪目に入った中学の同窓で、ギターにはバスケット仲間で大阪出身の笑かし屋Hちゃん。ベースは弾くマネだけでいいからとケーキ屋の次男坊Sちゃんを強引にあてがった。(自然児ターチンはまだ小学生だった)Sちゃんの凄さは、全く練習していないのに音が出ているところ。しかも、全然物怖じしない立派な演奏態度には感服した。冗談じゃなくて、ホントに教えを乞う輩がいて、運指とかちゃんと教授していた!
フォークコンサートだけど、フォークはやらない。音楽よりも漫談、コンサートの色物みたいな・・・そういうコンセプトで1日だけで解散のバンドでいこうと決めた。練習は演奏よりもしゃべりが多いので唯一(バンドっぽい)写真がこれだ。
40年前の今日、6月14日、僕たちはお茶の水日仏ホールの舞台に立った。あの日を境に本来予定されていただろう日常とは(たぶん)違う方向へ、三人の人生はシフトした。いろいろあったけど、それでよかったなとワタシは深く思う。
福士幸次郎は「幸福というものは鳥みたいなものだ。この広い野原の中にいる」と詠んだ。ほんと、あの日の東京は広かった。そして僕たちは3羽の小鳥さんだった。