懐石料理?


あのさぁ、石が懐かしい料理とはどんな料理なの?とクセのあるニホン通のガイジンに質問された。
「石が懐かしい?」ああ、懐石ね。ごたいそうな器に申し訳程の料理が乗ってるやつね。んでもってマナーのうるさい料理。なんで懐石なんだろうね・・・。調べたら載ってた。石が懐かしいではなく、フトコロを温めた石で温める・・・ようなお料理・・・「ホットストーンストーンセラピーをしたような心持ちになる料理」ということかな?
侘び寂びや武士道の説明でも四苦八苦したが、日本語の比喩や描写や精神性の曖昧さは(確認はしてないが)抜きん出てるな。ミゴトだな。
ミゴトといえば、若いころなら絶対に読まないが、若くないので最近読んでしまった幸田露伴の短編「幻談」の船頭と主人公とのやりとり・・・それから浦安沖かな?暮れ行く江戸湾の風景描写。これはミゴトでした。蒲団にくるまって読んでるのに、ワタクシ船酔いしましたから。藤沢周平もミゴトだったけど、露伴は別格だなぁ。

「やあ旦那、どうも二日とも投げられちゃって申訳がございませんなア」と言う。客は笑って、
 「なアにお前、申訳がございませんなんて、そんな野暮かたぎのことを言うはずの商売じゃねえじゃねえか。ハハハ。いいやな。もう帰るより仕方がねえ、そろそろ行こうじゃないか。」
 「ヘイ、もう一ヶ処やって見て、そうして帰りましょう。」
 「もう一ヶ処たって、もうそろそろ真づみになって来るじゃねえか。」
 真づみというのは、朝のを朝まづみ、晩のを夕まづみと申します。段々と昼になったり夜になったりする迫りつめた時をいうのであって、とかくに魚は今までちっとも出て来なかったのが、まづみになって急に出て来たりなんかするものです。吉の腹の中では、まづみに中てたいのですが、客はわざとその反対をいったのでした。
 「ケイズ釣に来て、こんなに晩くなって、お前、もう一ヶ処なんて、そんなぶいきなことを言い出して。もうよそうよ。」
 「済みませんが旦那、もう一ヶ処ちょいと当てて。」
と、客と船頭が言うことがあべこべになりまして、吉は自分の思う方へ船をやりました。

「あっしの樗蒲一(ちょぼいち)がコケだったんです」と自語的に言って、チョイと片手で自分の頭(かしら)を打つ真似をして笑った。「ハハハ」「ハハハ」と軽い笑で、双方とも役者が悪くないから味な幕切を見せたのでした。
 海には遊船はもとより、何の舟も見渡す限り見えないようになっていました。吉はぐいぐいと漕いで行く。余り晩(おそ)くまでやっていたから、まずい潮になって来た。それを江戸の方に向って漕いで行く。そうして段々やって来ると、陸はもう暗くなって江戸の方遥にチラチラと燈が見えるようになりました。吉は老いても巧いもんで、頻(しき)りと身体に調子をのせて漕ぎます。苫(とま)は既に取除けてあるし、舟はずんずんと出る。客はすることもないから、しゃんとして、ただぽかんと海面(うみづら)を見ていると、もう海の小波(さざなみ)のちらつきも段々と見えなくなって、雨(あま)ずった空が初は少し赤味があったが、ぼうっと薄墨(うすずみ)になってまいりました。そういう時は空と水が一緒にはならないけれども、空の明るさが海へ溶込むようになって、反射する気味が一つもないようになって来るから、水際が蒼茫と薄暗くて、ただ水際だということが分る位の話、それでも水の上は明るいものです。客はなんにも所在がないから江戸のあの燈は何処の燈だろうなどと、江戸が近くなるにつけて江戸の方を見、それからずいと東の方を見ますと、――今漕いでいるのは少しでも潮が上(かみ)から押すのですから、澪(みよ)を外れた、つまり水の抵抗の少い処を漕いでいるのでしたが、澪の方をヒョイッと見るというと、暗いというほどじゃないが、よほど濃い鼠色(ねずみ)に暮れて来た、その水の中からふっと何か出ました。

()の読みは当番が入れました