小澤征爾と村上春樹の対談集を読んでいる。
クラシックに関する無知蒙昧さを再確認しながら読み進んでいるんですが、村上春樹がジャズやポップスおいて造詣が深いことは知られているが、クラシックもその守備範囲にあったとは・・・・畏れ入った(つーか、ワタクシがクラシックのあれやらこれやらを知らなさ過ぎ)。
ベルリンフィルとボストンフィルの思想的・技術的な違いとか、マーラーの交響曲1番のフィナーレで、ホルン奏者が全員立ち上がるのはなぜかとか、門外漢だからのめり込む舞台裏のお話が続く。
なかでも小澤征爾がシカゴ・ブルースの大ファンであり、あのサウスサイドの(アブナい)ライブハウスに入り浸ってたとか、森進一と藤圭子が好きで、TV番組の企画で森進一の歌の指揮をやったとか、こういうエピソード好きです。
で、その企画への抗議(演歌ファンからの)に対して今日まで黙して語らず、この対談集の中で回答している。ながいけど、無断で転載します。
「小澤 (抗議に対して)僕はもちろんそれに対して何も言わなかったけど、僕なりの反論はみたいなものはいちおうあります。みんなは演歌っていうのは、日本の独特のものだってよくいいますよね。日本人だけに歌えて、日本人だけにわかる音楽だと。でも僕はそうは思わない。演歌というのは基本的に西洋音楽から出てきているし、五線譜で全部説明できると思うんです。
村上 はあ。
小澤 こぶしみたいなものも、ビブラートで表記できます。
村上 きちんと性格に譜面に書けば、演歌なんてこれまで一度も聞いたこともない、たとえばカメルーンの音楽家にも、ちゃんと演歌は歌えると。
小澤 そうです。
村上 それはなかなかユニークな反論ですね。演歌も少なくとも楽理上は、ユニヴァーサルになり得る。なるほど。」
記号の中から音の成分を採りだし作曲者の精神性を立ち上げていく-----職人指揮者ならではの回答だなぁ。
村上春樹は翻訳もいいけど、音楽話もいいなぁ。
昨日エレクトリックドラムが到着しました。